多色病

都会は生きている。コンクリートに固められた俺の心臓も耳を当てれば微かな鼓動が聞こえるだろう。ただ残念なことに俺の両耳は取り外しなど出来ないから俺の心臓が正常に動いているかどうかを確認することは出来ない。寂れたネオンに炙り出された紫がかった俺に、人肌を感じる術はなかった。そんな風に無機質で変に規則的な生活の中に現れた黄色い女から漂うバニラの香りは粘膜を撫でるように俺の生の部分に染み込んだのだ。黄色い女が、青い眼で俺を照らした。

「icecreamタべたい」

狭い青空の下で日に焼けた赤い女の肌を良く見ると微かにそばかすが浮いている。女は長い睫毛を振り回しながらもう一度同じ言葉を放り投げる。俺はその言葉をキャッチして、ゴミ箱に投げ入れるようにくしゃくしゃに丸めてしまった。黄色い女はもう別の場所で気休めのように切り取られたスカイブルーを見上げている。

glayなソラが恋しい、と女が言っていたのを思い出す。深く高く青い空を「息苦しい」と言う灰色な街からやってきたその女の眼は皮肉なことにこの国の空の色と同じ色だったけれど、俺はその眼が怖かったのかもしれない。

大きな空の下に皺皺になって捨てられていた黄色い女を拾ったのはもう一年も前になる。特別陽射しの強かった八月の頭に、俺の所有するマンションの屋上に転がっていたのがこの黄色い女だった。なぜそんな場所にいたのかは女もわからないと言うが知らないふりをしていた所で俺は特に興味など無い。ただ、蓋をするように真っ青な空の下で転がっている黄色に俺の心が染まってしまったのだと思う。

そうして黄色い女をオブジェのように部屋に置き始めて二度目の夏、流暢な横文字とむず痒い日本語を織り交ぜたちぐはぐな女の話を聴き流しながら作った苦い珈琲が、弾けたのだ。


豆が膨らむ様を無心で見つめるのが日課だった。珈琲の沈んだ色は黄色い女とは対極で俺を思う。粘土をこねくり回して絵の具を引きずり出して生活していた俺の沈殿した生命、いつか、膨らむと期待して、長年珈琲豆をぼうっと見つめていた。一日のうちでその短かな時間だけ、俺の全神経は白く呼吸をするヤカンと砕けた珈琲豆に集中される。一年、俺のそんな朝の様子を見てきたはずの黄色い女が、何故か、その朝だけは、俺に言葉を投げつけてきたのだ。俺は悪くない。俺は、鮮やかな女の声に驚いて振り返っただけだから。

女は高い声を上げて顔を歪めた。熱い珈琲は女の白い服を侵すように染めていって、光に穴が開いているようだと思った。俺が女を犯しているような。錯覚を覚えて、錯覚ではない?錯覚ではないのだ、現に、女は、いま、俺に組み敷かれているのだから。女の穴を広げたくて俺は無我夢中で潜り込んだ。女はどんな顔をして俺を感じているのだろうか。女に近づけば近づくほど女に焦がされて影のように濃くなる俺は、眩しくて手探りで女を探した。黄色を認めたとき、俺は光を吐き出して、女のスカイブルーを濡らしながら、細い首を絞めた。


黄色い女の柔らかさを知らない。黄色い女の体温を俺は知らない。きっとその眼が怖かったのだ、この国の空と同じスカイブルーが怖かったのだろう。ネオンの光に紛れて太陽を嫌う俺をスカイブルーは温かく包み込んでしまいそうだったから。スカイブルーと焦げたブラウンが混ざり合って、俺達は汚い色になった。