ソラナックス

赤みが引かない。

二ヶ月経った。小学生時代の二ヶ月というのはほとんど永遠のように過ごしていたのにいつのまにか時間の早さに追い抜かされてしまっている。赤みが引かないのは追い越すことが出来ない証だ。痒くはない。五年前の身体ではないことに季節を追いかけて気付く。触れることが出来ないまま春は夏に変わってしまった。蝉の鳴き声は一瞬で途絶え大火のように燃え上がる紅葉は燃え広がる間もなく白銀に覆いつくされた。痒くはない。少しだけ眠い。
脳内麻薬の分泌を感じるために人体実験を決行した。手首はケロイドのためにふやけてだらしなく幾多もの線が浮き上がっている。弦楽器を演奏するように手首を撫でてみたけれど部屋に響くのはストーブの嚥下する下品な音だけだった。無理もない。僕は楽器など触れたこともないのだから。

十二月二十日
五年前の傷をなぞるようにカッターの刃を滑らせた。ピリピリと痛い。中学校のトイレで初めて手首を切ったことを思い出した。子宮のつくりについて読み上げなければならないなんて普通の精神状態では成せないと思ったからトイレに籠って手首を切った。前の時間に理科の先生が「痛みは脳内麻薬の分泌を促進する働きがある」と言っていたからだった。頭がふわふわしたら教室に戻ろうと思っていたのだけれど、三時間目終了のチャイムが鳴って個室の床が血まみれになっても僕の頭は正常だった。和式便器に溜まる血液を見て、毎月のように股から血を出すらしい(そして僕はそれを教科書でしか知らない)女たちは狂っていると思った。僕は女が嫌いになった。

ペンを置いて麦茶を飲む。喉が乾いてしょうがない。室温22℃の部屋には加湿器がないのだ。一年に一冊日記帳を書き潰しているので左から五冊目の日記帳を捲る、日記を辿ってみると……僕が女嫌いになったのは五年前の七月十三日だった!ということは僕の記念すべきケロイド誕生日でもあるのだ。これは重大な発見だ、日記に付け加えておかねばならない。

アルコールの摂取は赤みを助長する。それに加えてケロイドが笑うように痒くなる。数えきれないほどの口が手首に開くから僕は耳を塞いでいなければならなかった。それも、前後不覚へ陥ればどうということはないから大抵は笑い声を捩じ伏せてアルコールを注ぎ込む。朝は好きだ。舌に歯の跡がつくほどに浮腫んでいる顔が愛しい。笑い声も鳥のさえずりには勝てないようで、ほんの少し赤みが残っていても僕は上機嫌にお気に入りの歌を口ずさみながらパンを焼き目玉焼きを作ることが出来た。食後にドグマチール100mg、リーゼ10mg、パキシル20mg、デパス3mg、デザートには足りないと思う。落ち着いた気持ちで手首を切る。十二月二十一日、脳内麻薬の分泌は未だに確認できない。