消える時間軸と歪む空間と意識(九月五日編)

重力のある星に住む私たち全人類からすれば宇宙空間に存在するものを理解することは到底不可能であろうし、第一に「浮遊」という感覚を知ることは微塵もないだろう。Macintoshの初期設定のままの壁紙をぼんやりと見つめながらそう思う。二次元の宇宙空間に思いを馳せることは究極に意味のない時間の使い方のように思えて自嘲気味に笑いながら、それでも銀河系の中に潜り込んでゆく妄想をせずにはいられなかった。ここが宇宙なら重力にさえ縛られずにどこまでも飛びながら生きてゆけるのに。僕を縛る人間や時間やタスクの煩わしさは僕に一瞬の隙を与えた。今日の九時から重役と会議、通勤途中で急遽上司から頼まれている書類を作りながら駅前のコンビニで昼飯を買う。十時半には向こうの会社を出て支店に顔を出さなければならない、深夜留守電に入っていた母の声を思い出す。「たまには連絡くらい入れなさい、生きてるの?ーーーー」二週間前から彼女は家を出てしまっている。いつもは甲高い声の彼女から漏れた最後の言葉は低く響いていた。なんて言っていたっけ……「あなた」「私のこと」「愛していないんなら」「早く私を」「解放してよ」今月はまだ休みをもらっていない。僕は玄関を出る前に縛っておいた雑誌の束からロープを解いて、ドアノブに首を括り付けた。次に目を覚ましたのは漂白された病室だった。会社の人間が、今日の会議についてメールが届いていないのを不審に思い僕を訪ねたらしい。僕はまた彼らによって地獄へ引きずり堕ろされてしまったようだ。僕の左腕は麻痺してしまっていたけれど、利き腕は右腕だったからナイフを身体に突き立てることは容易だった。僕はそれでも死ななかった。ナイフの代わりに、ボールペンを使ったからだった。親父に殴られて、母親はうっ血するほど泣き、実家に帰っていた彼女はごめんねと繰り返しながら僕を優しく抱いた。全てが僕をきつくきつく縛り上げた。逃げられない。